ダイヤの日記
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最後の挨拶

at 2003 01/09 20:05 編集

ダイヤが居なくなって2週間が過ぎた。
この世界のどこにも居ないのだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
こういうのを「むなしい」と言うのかな。

自分でも、不思議な程、気持ちはすっきりしている。
「ダイヤ、おはよう」「ダイヤ、出かけて来るね」「ダイヤ、ただいまー」
「ダイヤ、お魚食べるー?」などなど、
普通に、話かけられる。

でも、実在した時の事を考えたり、
戴いたメールを読んだりすると、
どうしようもなく涙が出てくる。

今日は、ダイヤの診察の予約日だった。
夕方、終わる頃に行った。
治験の薬を貰っていたので、未開封の物と記録用紙を渡すだけで帰るつもりだったけれど、
先生達は、ちゃんとお会いして下さった。
私は、診察室に入った途端に涙があふれてきてしまって、上手く話す事が出来なかった。

今まで、長い間、お世話になった事、
いつもいつも迷っていた私達に、ちゃんとお付き合い下さった事、
たくさん、お礼を言わなくてはいけなかったのに、何も言えなかった。

治療法等、後悔は、していない事、
寿命もあった、と割り切っている事、など、
伝えたかった事を、何も言えなかった。

大学のかたで、このHPを見て下さっている方がいると聞いた。
この場で失礼して、先生にお礼が伝わると嬉しいです。

本当に、有難うございました。
信田先生に診ていただいて、ダイヤは後悔していないと思います。
高飛車なダイヤでしたが、遠藤先生には、いつもゴロゴロしていました。
ダイヤを看て下さった皆さん、今までお世話になりました。
ダイヤの様子が、他の子達のための何かの参考になれば幸いです。



ダイヤが3年8ヶ月通院した
「麻布大学獣医学部付属動物病院」(神奈川県)



ダイヤ 一番最後の写真(2002年12月19日)





夢の夢をみた。

at 2003 01/15 10:05 編集

私はキッチンに立っていた。

ふと見ると、足元にダイヤが居た。
少し驚いた。ものすごく驚いたというわけではなかった。
「戻ってきてくれたんだ!」そう思った。
「息をふきかえしたんだ!」そう思った。
最期の、腫瘍がたくさんあって皮膚が裂けている顔ではなかった。もう少し前の顔だった。
小さな腫瘍はあったけれど。

夜、家族みんな一緒に布団で寝た。
布団には絶対乗ってこなかったダイヤだったけれど、ちゃんと一緒に寝た。
親子3人ネコ4匹、クシャクシャの布団の、めいめいの場所で寝た。

翌朝、目が覚めるとダイヤは居なかった。
ちょっとだけ遊びに来てくれたんだ、と思った。
寝るんじゃなかった、と思った。
ダイヤが消えるまで、もっと一緒に遊べば良かった、と後悔した…。

よく見ると、押入れの布団の中にうずもれて眠っていた。
良かった。ちゃんと居た!

焼いてしまったはずなのに、おかしいな、と思いつつ、素直に喜んでいた。
同時に、「またこれから苦しむのか…」と悲しい思いにもなった。
私は、複雑な気持ちで、ダイヤの顔を見つめていた。

そんな夢をみた。
そして、オットも同じ夢を見たと言っていた。


――という夢をみた。





1ヶ月が過ぎた
at 2003 01/22 22:01 編集

掃除機を出そうと、クローゼットを開けると、
1歳の娘がスリッカーブラシを見つけて取る。
「ダイヤー。ダイヤー。」と呼んでいる。
毛づくろいをしなくなった頃、私がダイヤに、よくブラッシングをしていたのを見ていたのだ。
娘は、ダイヤが居た部屋に行き、テーブルの椅子の上や、出窓など、
ダイヤを探して呼んでいる。

キッチンに、ネコフードが収納してある場所がある。
娘は、猫缶を見つけると、
「ダイヤー。ごはーん。おいでー。ダイヤー。」と呼んでいる。
缶はダイヤ用、ドライはウメ用と思っているらしい。
「ダイヤは、こっちまで来られないからね。あっちのダイヤの所まで持って行ってあげようね。」
と言って、遺骨の前に連れて行って、そこに置く。
「…来られない」と言うところから、もう途端に涙声の私。

遺骨の前には、お水とフード。
幼猫の頃、額にした写真と、去年秋頃の写真。
娘は、幼猫の頃のはいまひとつ判らないらしいが、
秋の写真はもちろん判る。「ダイヤー」と呼んでいる。
そして、遺骨にも「ダイヤー」と言って、箱をトントンとたたく。

ダイヤが居た、という事実。
もちろん判っている。

ダイヤが今、居ない、という事実。
おぼろげに判り始めている。

でも、この先ずっと居ない、という事は、まだ判っていないかも知れない。

私も未だに、「ダイヤのごはん買わなきゃね」と言って、缶詰を買いに行く。



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