ダイヤの日記
/ その後 1 2 3 4


もうすぐ…。

2003年12月15日

1年前の日記を読んでみる。
あの時は、あと1週間で「その時」がやってくるとは思っていなかった。

いや。
その当日の朝だって、お昼頃だって、思っていなかった。

でも、

ずいぶん前から、
いずれは、やってくると思っていた。

もう1年になるんだなぁ。
もう1年経つなんて、信じられないなぁ。

ダイヤが居なくなってからの、この1年。
何してたんだろう。
春は、何してたっけなぁ。
夏は、どんなだったかなぁ。
秋って…?

思い起こせないのは、
ダイヤとの思い出がないからかな…。

テンやチョビやウメは、
ダイヤの事、覚えているのかなぁ。





一周忌

2003年12月22日

ダイヤが逝ってしまってから、1年が経った。
ネコ「3匹」の暮らしにも、たいぶ慣れました。
でも、たとえ、もう1匹増えて、また「4匹」になったとしても、
「何かが欠けている」感じは、そのままなんだろうなぁ、と思う。

1年前の、あの日、
日記に書かなかった事がある。

実は、あの日の昼間、病院へ行った。

食べては吐き、飲んでは吐き、の繰り返しだった日々。

体力さえ回復すれば、何か希望があるのだろうか。

いや、食べられるようになったとしても、腫瘍の増殖は、もう止められない。もう何も出来ない。そう、判っている。

でも、それでも、せめて、おなかいっぱいにさせてあげたい。
ダイヤは、こんなにも頑張って頑張って食べようとしているんだもの。

そんな思いから、チューブでの給餌を決意したのだった。
午前中に電話をして、状況を話し、午後1番に病院へ向かった。

体温を計ったのは、この病院での事。
かなり低かった。

鼻からチューブを通すため、ダイヤを預ける。
待合室で待つ私。
日曜日だったため、次々と人が訪れ、みるみるいっぱいになった。

どのくらい待っただろうか。
かなり待っていたが、なかなか呼ばれない。

後から来た人達も、どんどん終わり、帰って行く。
妙に長かった。
そのうちに、仕事を切り上げてきたオットも到着する。

やっと呼ばれる。
診察室ではなく、奥の処置室に通された。

いつものように、横たわるダイヤ。
チューブは付いていない。

先生が説明をして下さった。
何度か試みたが、胃まで貫通しなかった、との事だった。
レントゲンで確認をしてみたが、やはり食道になにかがあって、通らない、という事だった。

それが、何なのか、先生は言わなかったし、私も聞かなかった。
癌だったのかも知れないし、他のシコリかなにかだったのかも知れない。
でも、きっとそれが、吐く原因となっていたのかも知れない。定かではないが。


――これで、出来る事は、本当に何もなくなった。


寒い中、連れまわして、ごめんね、ダイヤ。

キャリーバックに、カイロを入れてくるのも忘れてしまったね。
タオルはたくさん敷いたけど、やっぱり寒かったよね。
ごめんね、ダイヤ。

無理なことさせてしまって、ごめんね。

この事がなければ、
もしかしたら、
もうちょっとだけ、
一緒に居られたかも知れなかったね。


この日は、夕飯を作る気力もなかったので、
近所のスーパーで、お弁当を買って帰った。

同じお弁当は、今もまだ売られている。
買い物に行き、そのお弁当を見る度に、
この日の事を思い出す――。

END

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